コラム
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エコツアーの課題の一環として
木下大然(鹿児島県)
 私は屋久島でエコツアーガイドをしています。
シーカヤックを楽しむエコツアー
参加者と甲斐犬

 エコツアーでは地域の自然や文化に対して敬意をはらい負担をかけないことが大切ですが、同時にツアーを安全に楽しんでいただくことも重要な課題です。屋久島は小さな島ですが、九州最高峰の宮之浦岳を初め急峻な山や谷が入り組んでおり、世界自然遺産に登録されてから訪れる人も増加し、遭難者が後を絶ちません。
 2000年夏、山岳遭難者捜索のために屋久島の山に救助犬チームが数組入りました。私はこのグループのガイドをしたご縁で、屋久島初の救助犬の育成を始めることになり、訓練と安全向上のためにエコツアーに救助犬を同行するようになりました。
 私が救助犬の訓練を進める中で特に重視したことは、第一に実地での捜索を可能にするために遭難が起るあらゆる場面を想定して訓練を積んでいくこと、第二になるべく多くの人に接して友好性を養うことでした。この二つの目的に沿うために、エコツアーの中でいろいろな登山コース、川、海等での訓練、また人の多い場所に連れて行っての訓練を積極的に進めてきました。特に山岳捜索においては体力と共に高度な技術を要することもあり、日頃から犬と共にハンドラーも鍛錬しておく必要があります。このような訓練を続けてきたことによって、以下の通り実績に結び付かせることができました。
 ──2006年7月16日、64歳男性が淀川登山口から宮之浦岳、縄文杉を経由し下山中に遭難。17日、他の捜索隊が捜索したが発見できず。18日早朝より救助犬チームが捜索開始。午前6時30分頃、屋久町健康の森公園を出発、荒川登山口に向けてトロッコ軌道沿いに捜索したところ、午前9時30分頃、2頭の救助犬がトロッコ軌道から傾斜40°程の崖を下りていき吠えた。確認したところ人がうつ伏せ状態で倒れていたので、即座にアマチュア無線のレピータ局(中継局)でSOS発信し、他の捜索隊に連絡を取った。崖から落ちて負傷し動けない状態で37時間経過し、発見時には意識不明の重体であった。その後意識を取り戻したが、頚椎圧迫により脊髄中心部から壊死が進んでいたため、あと数時間発見が遅れたら助からなかった(担当医談)。──
救助犬が崖下の山岳遭難者を発見

 この時の救助犬チームは私とラブラドール・リトリーバー(当時2歳半)およびボクサー(当時1歳半)でした。今もこの2頭は健在ですが、当時まだ幼かった甲斐犬が今年(2009年)の認定審査会で合格し、救助犬の仲間入りをしました。私たちと遭難者のご家族とは今でも交流が続いています。因みにアマチュア無線も救助犬同様、安全管理・防災管理・危機管理といった観点から、屋久島における計画レピータ局(439.50MHz)の設置・管理・運営に携わってきました。1995年1月17日の阪神・淡路大震災でもアマチュア無線を活用して有志が活躍しましたが、救助犬に携わる私たちにとってもアマチュア無線は重宝な連絡手段と言えるでしょう。
レピータ局の保守・点検をする筆者の妻


 阪神・淡路大震災でスイスおよび富山から救助犬が入って捜索したことにより、新たな救助犬組織がいくつも設立され、全国での救助犬活動が活発になり始めましたが、まだまだ一般の人たちには馴染みが薄く、実際にどのような活動をしているかということさえ殆ど知られていません。その中で少しでも理解を深めていくためには、実際に救助犬の作業を目の当たりにしてその能力を確認していただくのが一番です。そのために私たちはエコツアーにおいて、参加者に救助犬の訓練を手伝っていただき、それが救助犬の理解、社会的な認知につながっていくのではないかと期待しています。
 屋久島という辺境の地において、私たちがここまで歩んでこられたのは、現在NPO法人災害救助犬ネットワークの顧問でもある坂井貞雄氏ご夫妻を初め、多くの人たちからのご指導と暖かいご支援によるものであり、この場をお借りして皆様に厚く御礼を申し上げます。そしてこれからも救助犬により、一人でも多くの被災者、遭難者の貴重な命が救われることを願って止みません。


災害救助犬はパートナー
菊地昌代(埼玉県)
捜索訓練中のメイと筆者(春季訓練会)
 私が災害救助犬に関心を持ったきっかけは、所属していた山岳会の雪山机上講習会でDVDを見た時でした。その中でヨーロッパでは、山岳事故 雪崩が起きた場合D&D(Doctor&Dog)をまずヘリで現場に急行させるそうです。それを見た瞬間、ハッとしました。以前お世話になった山岳救助隊の方々に恩返しができるかもしれない!
 私は父の影響で、物心がつく前から登山に親しんできました。その数年前、北アルプスで喘息発作を起こし、富山県山岳救助隊のお世話になったことがあるのです。 ちょうどその頃、我が家では子犬が産まれたばかり。ミニチュア・シュナウザーでは山岳救助犬に向かないかもしれないが、やってみようと決意しました。
 栃木県のドッグスクールピッピに入学したメイは、池澤所長や担当の鈴木訓練士、ヘルパーの皆さんの熱意と愛情のお陰で、昨年秋2歳の誕生日を前に昨年立派な?災害救助犬になりました。
 しかし救助犬認定を受け喜びも一段落した時、ふと思いました。日本は犬が入山禁止の山ばかり、実際に山で災害救助犬が行方不明者を見つけているのに…。正直愕然としましたが、前に進まなければ何も変わりません。私ももっとトレーニングを積み、災害救助犬と指導手の力が向上して行けば、世の中も変わっていくはずだと信じて…。そのためには、犬より指導手の体力・訓練技術向上も大切です。しかし、救助犬の訓練は指導手と犬だけでは不可能です。
 私が所属する災害救助犬ネットワークには、定期的に合宿や自主練習会があります。先日、私も春季合宿に初めて参加しました。いつもとは全く違う環境の中での訓練は、マンネリ化していた練習を改めて見直し、普段気付かなかった問題点も発見する事ができ、指導手と犬の作業能力を維持する為には、とても大切であると実感しました。また合宿中に、新しい仲間も出来ました。同じ目標を持つ仲間達と時間を忘れて語り合うのは、本当に楽しいものです。
 愛犬家の方達はよく誤解をされていますが、犬を訓練する事は決して無理強いをする訳ではありません。私の母も可哀相だと言いますが、犬は人間に訓練を受ける事に喜びを感じています。我が家のメイも同様です。私が練習をサボると要求してくる位です。また訓練をする事で犬との繋がりがより深いものとなり、ペットではなく、かけがえのないパートナーとなりました。もちろん普段は可愛いワンコですが、訓練をするからといって、愛犬が別の犬になってしまう事はありません。我が家には合わせて5頭の犬がいますが、
左からウェルシュテリアのハナ、メイの母・ロロ、
ウェルシュ・テン、メイ、ウェルシュ・ゴンタ
普段は他の犬と全く変わりません。どちらかというとメイはハイテンションで手の掛かる犬かもしれません。でもチェーンカラーを装着・訓練開始で、背筋がピンと張りパッと目が輝きます。私とメイのスイッチが切り替わる時が、ワンコからパートナーに変わる瞬間です。これは実際に訓練をやっている人にしか分からない、とても素晴らしい瞬間です。
 私はこれからもメイと二人五脚で一歩ずつ、楽しみながら歩んでいくつもりです。災害救助犬ネットワークでは実動できる指導手を増やすために山岳部もできるそうです。犬の好きな方に限らず興味を持たれた方は一緒に活動したいものです。
 あなたの可愛いワンコが、頼もしいパートナーにチェンジするかもしれません。
 災害救助犬の新しい仲間が増えることを願っています。


春季訓練会に参加して
土屋秀一(栃木県)
レオナルド、ベッカム、アンドリュー
 私の所有する3歳の黒ラブ「ベッカム」は昨年秋の認定審査会で、古川訓練士とのペアで災害救助犬に認定されました。
 今年は私とのコンビで試験を受けることが決まったものの、さて救助犬の作業ってどんなものなの?実地訓練ってどのような環境で行われるの?などなど分からない事ばかりでした。
 そこで今回、救助犬の作業風景、ベッカムとのコンビネーションを見るのに良い機会でしたので、宮城で行なわれた春季訓練会に家族と愛犬3頭で参加させていただくことになりました。
プログラムの最初は級犬による捜索デモンストレーション。数十メートルの崖の中腹と頂上に隠れる2人。我々ギャラリーの前から放たれた救助犬は浮遊臭を頼りにぐんぐん登って行き、すぐに岩の間に身を潜める1人目を、続く頂上に居る2人目も発見。風向きが逆という難しい条件下で探し当てた救助犬の能力の高さに正直驚かされました。
 その後は、2班に別れての訓練。私は野山の捜索を希望しましたが、ベッカムをうまくコントロール出来ず結果は散々なものでした。 2日目は場所も変わり河原の岩場での捜索。気持ちを入れ替えて望みましたが結果は同じものでした。技量不足、練習不足を痛感させられた実地訓練でしたが、基本の服従、意識付け、捜索意欲をいかに引き出し持続させるかなどハンドラーとしての課題が多く見えてきたことは、私達にとって大きな収穫となりました。 最後のプログラムは服従。ベッカムの他、生後11ヶ月のゴールデンのレオナルドも飛び入りで参加しましたが、脚側行進中の集中の付け方や招呼での問題点、改善方法などを鈴木訓練士から事細かにアドバイスいただきました。初めての参加した今回の春季合宿訓練は大変有意義なものでした。
服従指導を受けるレオナルドと筆者
平地のみならず、どのような条件、環境においても捜索できなければ即戦力となる救助犬にはなれないと、池澤訓練士(私にとって今までは訓練所の校長でした)の言葉が身にしみて分かったような気がします。
 課題は山積していますが、次回の認定試験でのレベルアップ、合格を目標に取り組み、今後もネットワークの会員の一人としてお役に立てるよう頑張って行きたいと思っています。


無限大の能力
石割真由美(富山県)
 私が、富山の「警察犬坂井訓練所」に入ったのは、高校を卒業した春でした。どうしても犬の訓練の仕事がしたくて訓練所に入りました。同じ犬種であっても、それぞれの性格、性能はバラバラでその犬にあった訓練をするということは難しいことでもあり、又、大変楽しいことでもありました。犬の持っている能力を引き出し「人の役に立つ犬をつくる」そんな目標を持って日々犬の訓練をしていました。
 1990年、坂井所長が「日本で最初だけれど災害救助犬をつくる。」と言いました。所長は、海外での「災害救助犬」の存在を知り、資料などを集め、スイスへ行き訓練方法などを持ち帰りました。そんな所長の意気に並々ならぬ決意を感じ、まだ力足らずであった私ですが協力して訓練に励みました。浮遊臭の中から、人の臭いを捜し、確実な居場所を吠えて人に知らせる。居場所、設定、隠れる人を換えて繰り返し練習しました。犬は、隠れている人を発見すると、遊んでもらえる、という訓練をしていったので作業としては、とても楽しい作業でした。そんな楽しい訓練を続けている矢先のことでした。1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。
 翌日18日、どこからの要請もありませんでしたが所長達はチームを組んで出動しました。留守番をしていた私は、これまで育ててきた救助犬が出動できたという喜びよりも、元気な人を見つける練習しかしたことのない犬たちが、あのすごい現場で本当に人を発見できるかどうか不安でたまりませんでした。翌日、災害現場で遺体発見の報告を受けた時は、とても驚きました。犬は吠えはしなかったが、人がいるんだという反応を示したというのです。犬の反応を見逃さなかった所長もすごいと思いましたが、改めて犬は教えられたことをどんな状況でもやってくれるんだと感動させられました。
 そして2003年2月12日富山県の長光寺全焼という火災の後、元住職が行方不明になり出動しました。もちろん、火事跡の現場は初めて、焼死体を捜すのも初めて、果して本当に発見できるか不安でした。捜索する犬の邪魔になってはいけないと現場には人も入れない。重機も止め捜索現場で沢山の人が見守る中、私は犬にリードを付けて現場に入りました。現場へ3m位入った所で、犬がじっくり一ヶ所の臭いを嗅ぎ始めました、小さな円を描きながら嗅ぎ続けました。一度その場所を離れさせ、現場全体を周り、また戻ってくると同じ場所で立ち止り、先程と同じ様に臭いを嗅ぎ続けました。私には、犬が何故そんなに執着するか判りませんでしたが、所長は初めの反応で、その場所だと判断できたそうです。今まで、嗅いだことのない臭いでも犬は人がいると教えてくれていたのです。まだまだ私は経験が足りないと反省させられました。
 2004年10月23日、新潟県中越地震発生、警視庁の災害救助犬が幼児を発見、救出しました。また20007年7月17日、新潟県中越沖地震発生、柏崎へ出動し、倒壊家屋の中に人が残されていないか確認をして回りました。途中、地元の方に「ご苦労さまです、災害救助犬ですか、頑張ってください」と声を掛けられ、私たちが何かしてあげないといけないのに…。
 犬が、人を捜せるかどうか、それは指導手と犬の現場での経験はもちろん重要ですが、日々の訓練を重ねることこそ犬の自信と指導手の自信になるのではないでしょうか。毎日、楽しく訓練をして無限大である彼らの能力を引き出して、伸ばしてあげることが、私たち訓練士の仕事なのだと思っています。明日からも、彼らとともに頑張ります。